繁里 栄
繁里 栄は1937秋年から1939年にかけて活躍した元名古屋所属のプロ野球選手です。 投打は右投右打で、守備位置は主に投手、日本球界初出場は1937秋年で当時21歳でした。 同年代には松広(元タイガース)や沢村(元巨人)がいます。 過去には1939年名古屋で全40試合出場防御率2.31や1937秋年名古屋で全13試合出場19奪三振という結果を残しています。
繁里 栄は1937秋年から1939年にかけて活躍した元名古屋所属のプロ野球選手です。 投打は右投右打で、守備位置は主に投手、日本球界初出場は1937秋年で当時21歳でした。 同年代には松広(元タイガース)や沢村(元巨人)がいます。 過去には1939年名古屋で全40試合出場防御率2.31や1937秋年名古屋で全13試合出場19奪三振という結果を残しています。
生年月日 | 1916年 |
---|---|
身長 / 体重 | 167cm / 60kg |
ポジション | 投手 |
活躍時期 | 1937秋〜1939 |
所属履歴 | 名古屋軍 |
年度別順位 | |||
---|---|---|---|
年度 | 球団 | 順位 | チーム数 |
年度 | 球団 | 順位 | チーム数 |
1937秋 | 名古屋金鯱 | 4位 | 全8チーム |
1938春 | 6位 | 全8チーム | |
1938秋 | 名古屋 | 4位 | 全9チーム |
1939 | 6位 | 全9チーム |
年度 | 球団 | 試合 | 投球回 | 防御率 | 勝利 | 敗北 | 完封 | 奪三振 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1937秋 | 名古屋軍 | 13 | 52 | .111 | 1 | 8 | 3 | 19 |
1938春 | 9 | 31 | .250 | 1 | 3 | 1 | 9 | |
1938秋 | 8 | 34 | .250 | 1 | 3 | 1 | 11 | |
1939 | 40 | 260 | .438 | 14 | 18 | 22 | 77 |
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1937秋 | 名古屋軍 | 13 | 19 | .158 | 3 | 0 | 0 |
1938春 | 10 | 10 | .300 | 3 | 0 | 1 | |
1938秋 | 17 | 22 | .091 | 2 | 1 | 1 | |
1939 | 43 | 93 | .172 | 16 | 0 | 4 |
年度 | 球団 | 順位 | 防御率 | 試合 | 勝利 | 敗北 |
---|---|---|---|---|---|---|
1939 | 名古屋軍 | 9位 | 2.31 | 40 | 14 | 18 |
1939年総合ホールド数ランキング [58人] |
|||
---|---|---|---|
順位 | 名前 | ホールド | |
|
|||
4位 | 古谷 倉之助 | 7 | |
6位 | 西沢 道夫 | 6 | |
7位 | 繁里 栄 | 5 | |
7位 | 古川 正男 | 5 | |
9位 | ヴィクトル・スタルヒン | 4 | |
|
1938春年総合長打率ランキング [132人] |
|||
---|---|---|---|
順位 | 名前 | 長打率 | |
|
|||
47位 | 寺内 一隆 | .302 | |
48位 | 奈良 友夫 | .300 | |
48位 | 繁里 栄 | .300 | |
50位 | ヴィクトル・スタルヒン | .297 | |
51位 | 綿貫 惣司 | .294 | |
|
芳賀 直一 (1936秋年〜1943年)
元名古屋
西沢 道夫 (1937秋年〜1958年)
元中日 / 1952年に首位打者等2つのタイトル獲得者
岩本 章 (1938秋年〜1953年)
元広島 / 1943年に最多本塁打のタイトル獲得者
村松 幸雄 (1939年〜1941年)
元名古屋
加藤 正二 (1939年〜1952年)
元大映 / 1943年に最多本塁打のタイトル獲得者
石田 政良 (1937春年〜1946年)
元中部日本 / 1940年に最多盗塁のタイトル獲得者
牧 常一 (1939年〜1941年)
元名古屋
桝 嘉一 (1936春夏年〜1943年)
元名古屋
松尾 幸造 (1937秋年〜1947年)
元中日
服部 受弘 (1939年〜1958年)
元名古屋 / 1941年に最多本塁打のタイトル獲得者