笠石 徳五郎
笠石 徳五郎は1943年から1951年にかけて活躍した元阪急や中部日本所属のプロ野球選手です。 投打は右投右打で、守備位置は主にができ、日本球界初出場は1943年で当時19歳でした。 同年代には大崎(元ゴールドスター)や干場(元阪神)がいます。 過去には1948年中日で全112試合出場ヒット67本や1947年中日で全88試合出場ヒット19本という結果を残しています。
笠石 徳五郎は1943年から1951年にかけて活躍した元阪急や中部日本所属のプロ野球選手です。 投打は右投右打で、守備位置は主にができ、日本球界初出場は1943年で当時19歳でした。 同年代には大崎(元ゴールドスター)や干場(元阪神)がいます。 過去には1948年中日で全112試合出場ヒット67本や1947年中日で全88試合出場ヒット19本という結果を残しています。
年度別順位 | |||
---|---|---|---|
年度 | 球団 | 順位 | チーム数 |
年度 | 球団 | 順位 | チーム数 |
1943 | 阪急 | 7位 | 全8チーム |
1946 | 中部日本 | 8位 | 全8チーム |
1947 | 中日ドラゴンズ | 2位 | 全8チーム |
1948 | 8位 | 全8チーム | |
1950 | 西鉄クリッパース | 5位 | 全7チーム |
1951 | 西鉄ライオンズ | 2位 | 全7チーム |
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1943 | 阪急軍 | 54 | 151 | .172 | 26 | 0 | 10 |
1946 | 中部日本軍 | 54 | 109 | .211 | 23 | 1 | 13 |
1947 | 中部日本ドラゴンズ | 88 | 147 | .129 | 19 | 0 | 5 |
1948 | 中日ドラゴンズ | 112 | 291 | .230 | 67 | 2 | 22 |
1950 | 西鉄クリッパース | 73 | 168 | .185 | 31 | 2 | 23 |
1951 | 西鉄ライオンズ | 8 | 9 | .000 | 0 | 0 | 1 |
1950年総合本塁打数ランキング [356人] |
|||
---|---|---|---|
順位 | 名前 | 本塁打 | |
|
|||
145位 | 松井 淳 | 2 | |
145位 | ヴィクトル・スタルヒン | 2 | |
145位 | 笠石 徳五郎 | 2 | |
145位 | 新藤 貞文 | 2 | |
145位 | 高橋 輝 | 2 | |
|
1948年総合打率ランキング [180人] |
|||
---|---|---|---|
順位 | 名前 | 打率 | |
|
|||
75位 | 坂元 義一 | .231 | |
78位 | 伊勢川 真澄 | .230 | |
78位 | 笠石 徳五郎 | .230 | |
80位 | 杉浦 清 | .229 | |
81位 | ヴィクトル・スタルヒン | .228 | |
|
野本 喜一郎 (1950年〜1953年)
元近鉄
深見 安博 (1950年〜1957年)
元南海 / 1952年に最多本塁打のタイトル獲得者
原田 晃 (1950年〜1951年)
元西鉄
清原 初男 (1946年〜1952年)
元西鉄
永利 勇吉 (1948年〜1955年)
元西鉄
伴 勇資 (1950年〜1954年)
元大映
久喜 勲 (1950年〜1954年)
元高橋
野口 正明 (1942年〜1954年)
元中日 / 1952年に最多勝利のタイトル獲得者
武末 悉昌 (1949年〜1955年)
元トンボ / 1949年に最多奪三振のタイトル獲得者
木下 勇 (1938秋年〜1952年)
元西鉄